パチーノ物語 第5章 (貧乏学生生活 養分スロット稼働)
パチーノでございます。
前回の第4章では未公開株詐欺の被害に遭い10代にして多重債務者となった過程を紹介した。
今回は消費者金融という手段を手にした貧乏学生の自堕落な養分の日々を綴ろう。
10代にして
奨学金180万円
バイクのローン50万円
消費者金融二社で70万円
合計300万円の借金を持つ多重債務者となった私はより一層苦しい生活を送っていた。
家賃以外の生活費をバイト代の10万円で賄っていた私には消費者金融への返済などできる余裕はなかった。
毎月の利息だけを払う優良顧客であった。
これの返済が遅れればやばいだろう事は分かっていたため、元本は返さずに利息だけは遅延なく払っていたのだ。
正確に言えば微々たる金額であれば返済可能だったのかもしれないが給料が入る度に僅かな軍資金を手にパチ屋へ行き次の給料日には底をつく。という状況が続いていた。
当時良く打っていた台は番長、吉宗、秘宝伝、アラエボ、麻雀物語、銭形などである。
当時の大都の台は本当に面白かった。
一応天井やゾーンの概念は知っていたが雑誌に書いてあるような期待値のあるハマり台は都合良く落ちている訳ではない。
養分の私にはそこで店を出る考えは無く適当な台をお金が無くなるまで打つか、とりあえず天井と天国をカバーできるだけ打つといった養分丸出しの稼働をしていた。
当時の私の軍資金は物理的に月に3万円も使えれば良い方だったためあっという間に資金がショートする事がほとんどだった。
とはいえ適当に打っていても出る時は出る。
3万円を握りしめてギリギリ天井と天国をカバーできるぐらいのゲーム数から打ち、残り数千円、これが無くなれば給料日まで一切の贅沢が許されない。
そんな極限の状態から天国モードに上がり一撃3000枚も出ればとてつもない快感が襲ってくるのだ。
今思えばたかが3万円勝ちなのだが当時の私はとてつもない高揚感を覚えた。
操ビッグのディスタンスを聴きながらメダルを箱に移している時や、銭形や吉宗の1G連でビッグを揃え、手を止めてゆっくりとメダルを移している時、秘宝伝の高確ロングで10連以上している時なんかはまるで自分が物語の主人公にでもなったかのような感覚に陥っていた。
もちろん勝ったお金などすぐに溶かしてしまうのだが徐々に超えてはいけないラインを超え始める。
ここで負ければ光熱費や携帯が払えない。電車の定期代が払えない。そんなお金でも徐々に軍資金として使い始めてしまった。
残り数千円で大逆転した経験が感覚を麻痺させていた。
面白いことに当初はそういう時に不思議と強かった。
勝った直後には、なんて危ない橋を渡ってしまったのだろう。もうこんな勝負は辞めようと冷静になるのだが同様の状況に陥ると大逆転をした記憶が蘇りまた同じ事をしてしまう。
当然何度も都合良く大逆転できるはずもなく手をつけてはいけないお金で負け始めた。
だが一つの頼みの綱があった。
上京と同時に銀行口座を開設した際に窓口の女性行員に勧められるがままクレジットカードを作っていた。
当面の買物はクレジットカードで支払えると考えていたのだ。
そんな自転車操業が始まりクレジットカードの利用明細を見て胸が高鳴った。
残りキャッシング枠100,000円という文字が記載されていた。
思い出した。
カードを作った時に説明を受けた。
10万円の枠の範囲ならお金を借りられるのだ。
既に消費者金融で70万円の借金をしている私には何の抵抗もなかった。
その事実に気付いた最初のバイト休みの日に早速キャッシング枠から引き出しスロットを打ちに行った。
その時何を打ったかは覚えていないが良い結果では無かったと記憶している。
その10万円の枠もすぐに上限に達したからだ。
そんな状況に陥った私の生活は更に厳しいものになっていた。
生活費だけで苦しいはずなのにバイクのローン、消費者金融二社への利息、キャッシングの返済、常態化してしまったクレジットカードによる買い物の支払いなどが必要になってしまっていたのだ。
今客観的に見ると本当に厳しい状況だったと思う。良くこれで生きていけてたなと。
こんな状態になっても基本的にはギャンブルの事しか頭に無い。
給料が出れば打ちに行きたまに勝つ事もあった。
しかしこれを返済に充てず次の軍資金にする。
養分稼働をしているのだからこのお金を当然溶かす。
そんな事を繰り返しているのだからもちろん資金がショートする。
そして電気やガスが止まり携帯も止まる。
この頃からバイト仲間にお金を借りるようになった。
借りたお金で携帯やライフラインを復活はできるが今度はバイト仲間にも給料の度にお金を返す必要が出てきた。
そんな火の車状態の時に一筋の光が差し込んだ。
いつものように給料日に消費者金融へ利息だけ払いに行くと常に借入枠上限に達していたはずの利用残高が増えていたのだ。
消費者金融に対しては毎月滞りなく支払いを行なっていたことから信用が上がっていたのだろう。
30万円だった上限が50万円に上がりいつでも20万円を引き出せるのだ。
その場で5万円引き出した。
自宅近くにあったパチ屋がイベント日だった。
5のつく日がイベントで25日は月一のイベントだったのだ。
消費者金融に返済をしたうえで1万円が手元に残るようにお金を下ろしていた。そのお金で銭形を180Gまで回して3G連を炸裂させる妄想をしていた。
月一イベだけあって抽選は人で溢れていた。
良い番号は引けず朝一に恩恵のある銭形や麻雀物語は座れなかった。
朝一はアラエボに着席。
これが結果的に9000枚吐き出し大勝ちとなった。
アラエボのビッグ中の音楽は中毒性がある。
その日はピッポッパッポーというBGMを何度も何度も聴き高々と別積みされたメダルの山を背に物語の主人公となって至福の稼働をした。
この日引き出した5万円はその日のうちに消費者金融へ返済した。
この夜は高揚感が収まらず眠れなかったのを良く覚えている。
一晩中アラエボのBGMが脳内でループし続け次回のスロットへの期待が膨らみ続けていた。
今日はここまで。
書きながら当時の心境が昨日の事にように蘇ってきた。ある意味人生の中で一番充実していた時期なのかもしれない。
これは私の持論だがお金の無い時、生活に余裕の無い時が人生で一番充実しているのだと思う。1日1日を必死に生きていた。
このお金が無くなれば明日ご飯が食べられないという極限状態でのギャンブル程面白いものはない。
まるで自分の命を投げ出しているかのような感覚となる。
残り数千円でギリギリ届いた秘宝伝の天井から一撃3000枚出した時、消費者金融から借りたお金でアラエボで9000枚出した時、あの喜びを味わうことはもう二度と無いのであろう。
こんな経験は絶対しない方が良いが、経験している人には間違いなく理解してもらえると思う。
客観的に見ると狂気の沙汰としか思えないが当時はそれが当たり前だったし、当然今現在も同じような境遇の人がいるはずだ。ホールでたまたま隣に座った人がそうなのかもしれない。
当時の私のような借金まみれの養分によって我々は勝たせてもらえているのだから少し気に留めてみてほしい。
ホールで養分を見つけても馬鹿にするのではなく心の中では応援してあげてほしい。
本当に厳しい生活を送っているはずだ。
以上。
ではでは